魅惑のAngel(1)
魅惑のAngel

 リビングの壁に掛かってあるカレンダーを見て、俺は、ああ、と一人頷いた。
 朝からクラウドがばたばたと慌ただしく出て行った理由に思い至ったからだ。
 巷の女性達にとって、年に一度の一大イベント、バレンタインデー当日だ。
 デリバリーサービスを営んでいるクラウドにとっては、大忙しの一日となる。チョコレートの配送が多いらしい。
 どうせ、夜遅くなってからしか帰ってこないだろうから、俺は寝ることに決めた。15日にバッタリ倒れるのを回避できるかもしれない。
 俺は寝室に戻ると、ベッドに横になった。
 横になってみると、身体が少し楽なような気がした。自分が思っているよりも、疲れが溜まっているらしい。
 俺自身はそんなつもりは全くないのだが、普段から、気を張り詰めていたり、頭を常に使って生活しているらしく、毎月15日ぐらいに限界が来て、全く動けなくなる。
 それは前月16日からの一ヶ月間、フルで仕事をしていたりした場合だから、休みが多い月はそこまで酷くはならない。
 今日もこうやって横になって気づく程度のだるさだから、マシな方だろう。
 俺は目を閉じて、夢の世界に入ることに決めた。
 バレンタインデーとはいえ、クラウドが忙しくなったここ数年は一緒に一日過ごすということはしていない。俺もプレゼントはいらないと伝えてある。
 甘い物が苦手なのだから、定番のチョコレートはいただけない。お酒がらみも何かにつけてクラウドからもらっているため、そろそろネタも尽きているだろうし。
 今や強烈に欲しい物とか、物欲なんてものは皆無だ。
 一番欲しかった物を手に入れたあの日に、そんな物は捨ててしまったのだから。



「…セフィロス…」

 名前を呼ばれた俺は、ゆっくりと身体を起こした。
 ベッドの傍らに立って、クラウドが俺を見下ろしていた。

「…ああ、お帰り」
「ただいま。遅くなった…」
「…わかってたことだ。疲れてるだろう?」
「俺は別に。セフィロス、夕食食べてないんだろう?」
「まあ、な」

 俺はベッドから降りると、クラウドの横をすり抜けて、一階のリビングへと降りていこうとした。
 腕を掴まれて、動きを止められる。

「勝手に食べなかったのはどうしてだ?」
「寝てたから。クラウドもわかってるだろう? 今日は14日なんだぞ」
「…知ってるよ、だからこそ、ちゃんと食べて欲しい…」
「俺があまり食べないこともわかってるくせに」

 クラウドの手をそっと離して、俺はその場から歩みを進めて、階下へと降りる階段の手すりに手をかけた。
 ふと振り返ると、クラウドはなぜか立ち尽くしたままで、俺を辛い表情で見つめている。
「どうした? 幸せをお届けしてきたやつの顔じゃないな?」
「俺が、俺が本当に届けたいのは…」

 クラウドは拳に力を込めて、歯を食いしばっている。
 俺はクラウドの横に戻って、思い切り抱きしめてやった。

「俺に何が言いたい?」
「…何も…、ただ、俺はセフィロスに対して無力過ぎる…」
「無力…?」
「何もしてあげられてない…。こんな日でさえ、俺は何も…」

 俺の腕の中で小さく頭を振るクラウドをさらに強く抱きしめて、落ち着かせるように、背中をあやすように叩く。
「クラウドに何かをして欲しいとは思ってない」

 急にクラウドは俺の胸を突き飛ばすと、がなりたててきた。

「セフィロスっ! それは、俺がいなくてもいいってことなのかっ!」
「勘違いするな。そういう意味では言ってない。クラウドがそばにいるだけでいい。俺はそれ以上を求めていないだけだ。オレのために何かしよう、と思うなら、俺のそばにいて、俺だけを見ていてくれ」
「…それはいつもしてるじゃないか。俺はいつも一緒にいたいんだから。だけど、それだけじゃ、ダメなんだよ。それは誰にでもできることなんだ…」
「それこそ、勘違いだろ? 俺はクラウドにそうして欲しいんであって、他の誰かにしてほしいとは思ってない」
「でも、セフィロスのために何かしてあげられることがないと、俺は…」

 クラウドは自分がいる意味をどうしても確認したいらしい。
 『クラウドの存在』がどれほど尊く、意味のあるものか、っていうのをわかってもらうには時間が掛かりそうだ。
 俺はクラウドの頭をくしゃくしゃっと撫でてから、クラウドの手を引っ張って、階段へと向かった。
「セフィロス?」
「できることならいっぱいあるじゃないか。気づいてないだけだろ?」
「…あるかな…?」
「まず、俺の胃袋を満たしてもらおうか?」

 クラウドはぱっと明るい顔になったかと思うと、ばたばたっとキッチンへと走っていった。



「気合い入れすぎだろう…」
「多すぎた?」

 テーブルの上にはイタリアンのフルコースよろしく、前菜、スープ、メインであろう魚料理や、肉料理、パスタ、バケットが並んでいる。
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