深海 (4)
深海

「え?」
「日帰りの予定だったんだけどね、あの人が帰ってこなかったから…」
「…帰ってこない…?」
「そう…、帰ってこなかったの。おぼれた子供を助けてね。確かに波が高い日だったわ。でも、沖に行かなければ問題なかったの…。子供って知らないうちに遠くに行っちゃうでしょ?」
「沖のほうで…?」

 その人は黙ってうなずいて、視線を海に移した。

「あの人が帰ってこないはずはない、って思ってたの。だから毎日海に行った。でも、一人で待ってると考えが悪い方ばっかりに行っちゃうから、誰かと話してたかったの」

 それで俺に声をかけてきたのか。ただのナンパじゃない、という雰囲気はそういうわけだったのか。

「……貴方と別れた後ね、あの人、帰ってきたの…」

 俺は何も言えなかった。きっと続く言葉は俺が想像している言葉だろうから。
 その人の瞳から涙がこぼれる。

「眼も開けないし、言葉も話さない。手を握っても反応がない…。これは夢で、きっと目が覚めるんだろうと思ってた…。でも、現実は残酷だわ」
「それでこの海でなくなった方のもとへ行こうとしたんですか?」
「…そう…。あの人のところへ行きたい。あの人の側にいたい…。それだけなの…」
「じゃあ、俺は余計なお世話だったわけだ」

 その人は俺の顔を一瞬見たが、また視線を海に戻した。
 波の音だけが俺の耳に入ってくる。その人はきっと余計なお世話だったと言いたいに違いない。それを我慢しているように思えた。

「少し言わせてもらうが…」

 セフィロスの声が耳に入ってきて、俺は驚いてセフィロスの方を見た。今の今まで黙っていたセフィロスがいきなり口を挟んできたのだ。

「あなたが死ぬのはたやすい事。それを手助けするのもたやすい。だが、あなたの彼氏と言う人はあなたがこういうことをして、喜ぶのでしょうか? 死んででも自分の元へ来て欲しいと願う人なのでしょうか?」
「それは…」

 女の人は口ごもる。きっと、この人もセフィロスの言う事をどこかでわかっていたのだろう。だからその人はセフィロスに反論しなかったのだ。
 だが、俺の心はそのセフィロスの言葉によって砕け散っていた。セフィロスの言葉はきっと普通に考えたら出てくる言葉だったと思う。その普通に考えたら出てくる言葉は俺には当てはまらない。

「自分の命を犠牲に子供を助けるような人だ。きっと命を粗末にするなと言う人でしょう。それは貴方もわかっていたはずだ。よく考えてください。どうしてもその人のところへ行きたいというのならいつでもお手伝いしましょう」

 俺の心拍数はどんどん上がっている。セフィロスとその人は何かを話しているようだが、何を話しているのだか俺には聞こえない。俺の心臓の音とセフィロスの言葉だけが耳に響く。
 女の人は立ち上がると会釈をして、その場を立ち去っていった。何も言葉をかけることはできず、その姿を見ているしかできなかった。

「クラウド?」

 俺を呼んでいる?

「クラウド、帰るぞ」
「セフィロス…、俺…」

 首を傾けたセフィロスに俺は言葉を続ける事ができず、ただただ砂浜を全速力で走り続けた。
 寝室に入って、俺はベッドにもぐりこんだ。俺にあてはまらないセフィロスの言葉と「俺は普通じゃないのかもしれない」という思いが頭の中でぐるぐる回っている。

「クラウド、何があった…?」

 セフィロスの言葉に反応できない。

「クラウド!」

 布団をはがされて、腕を掴まれる。
 俺にはセフィロスの腕を振り払うこともできなかった。思考回路が正常に働いていないとさえ、俺には理解できていなかったと思う。
 セフィロスには何かの抜け殻のように見えたかもしれない。

「クラウド、急にどうしたんだ?」
「俺……」

 叫びだしそうなのをこらえて、セフィロスにしがみつく。叫び出すのをこらえている反動で体が震えだした。





 うっすら目を開けると、天井が見えた。いつの間にか俺は眠っていたらしい。
 隣にセフィロスはいなかった。
 ゆっくり身体を起こして、ベッドから降りる。
 セフィロスがいないのが不安になって、セフィロスの姿を探しに、階下へと向かった。
 リビングにいるのかも、と思ってリビングのドアに手をかけたとき。

「クラウド!」

 いきなり呼ばれて大きく肩をゆらした。振り返ってみると、セフィロスが立っていた。

「起き上がって大丈夫なのか?」
「…うん…」

 セフィロスの腕を掴んで、セフィロスに寄りかかる。
 何かを感じたのか、セフィロスは俺をぎゅっと抱きしめてくれた。

「ジュースか何か持ってきてやるから、リビングに座ってろ」

 セフィロスの言葉にうなずいて、俺はリビングのソファーに座った。
 普段なら感じないリビングの広さが落ち着かない。ソファーに誰も座っていない、というより俺の隣に誰もいないのが嫌な気分になる。

「まだ、顔色が悪いな」

 俺の隣に座りながら、セフィロスはそう言った。
 鏡を見ていないけれど、よっぽど青い顔をしているのだろうか。まだ、ということは夕べはもっとすごい状態だったのだろうか。
 俺は隣にいるセフィロスの手を握った。

「クラウド…?」
「しばらく、こうしてたいんだ…」

 セフィロスが側にいないことにこんなに不安を覚えるようになっているとは思ってなかった。俺は平気だと思っていた。思っていただけだったのだ、とようやく気づいた。

「…俺はさ、ずっとセフィロスの側にいたいんだ…。セフィロスに側にいて欲しいと思ってる…」
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